【創作小説】ヒーローきんたろ
毎週日曜日の朝8時半、私の休日はラジオでこの番組を聴くところから始まる。
『ヒーローキンタロ』
それがこの番組の名前だ。子供向けの番組だからストーリは単純で、だいたい↓のような流れで話がすすんでいく。
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怪獣「グルガァァァ」
子どもたち「キャー、助けて!キンタロ!!」
きんたろ(シュババ)
きんたろ「きんたーろがここに来たよ きんたーろが来たよ 来たよ きんたーろ 日頃の筋トレ 生きてるね 日頃のきんたろ きんたろ助けに来たから 問題ないのさ」
きんたろ(フンッ)
怪獣「グァァ!!」
子どもたち「ありがとう!きんたろう!」
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他のいわゆるヒーロものの番組と比較して、『ヒーローキンタロ』は決め台詞がとても長い。こんなに長いセリフを毎回言うようでは、その間に怪獣に襲われても不思議じゃなさそうだけど、そこはまぁ、子供向けの番組だからいいのだろう。あと、この番組はテレビ放送ではなくてラジオ放送であるところも特徴的だ。テレビじゃなくてラジオを媒体としている理由は、ありていに言ってしまえば予算の都合上仕方ないといったところであろうが、私のような大人からすれば、ラジオ放送のほうがいろいろ想像できるところがあって良いのである。
そうはいっても、もともとのコンセプトが子供番組なのにラジオでそれをやってしまうというニッチを突きすぎたこの番組は、いわゆるヒーロタイムと呼ばれるの日曜朝の朝に放映されたものの、視聴率的にはあんまり芳しくないようだった。
「そろそろこの番組も打ち切りですかねぇ」
特撮仲間が集まるカフェで偶然知り合ったAから、そんな言葉を投げかけられた。Aはもともとは別の特撮番組が好きでこのカフェに通うようになった友達であるが、1年ほど前から『ヒーローキンタロ』について私と話をするようになり、以来各話の感想などを2人で共有しあうのが日曜の午後のささやかな楽しみになっている。
「うーん、たしかに。最近さらに視聴率も下がって来てるしな。こんなニッチな番組が1年続いただけでも喜ぶべきなのかもしれない」
私はAに同調した。若い時分だったら、こういう話にはむきになって反論したものだが、今の私はあまりにもいろいろな出来事を経験しすぎた。良くも悪くも、諦めることに慣れすぎたのだ。
『ヒーローキンタロ』の魅力はなんといっても主人公きんたろのなんとも言えない、ヒーロ-らしからぬキャラクターにある。彼はあんまり感情を出さないので、どんなピンチでもどこか淡々とした様子が見られるし、肝心の戦闘シーンも主人公きんたろの設定があまりにも強すぎるがために相手の怪獣をほとんど一撃で倒してしまう。この番組は戦闘シーンでドキドキする要素もなければ、ストーリに人を感動させるような要素があるわけでもなく、ただ淡々と、きんたろが子供たちを救っていくだけの物語なのだ。「きんたろう」という誰もが知る国民的ヒーローから採られた安直すぎるネーミングセンスも安心感があってまた良い。
多くの視聴者からすれば、この番組はヒーローものとしては少し物足りないかもしれない。しかしもうおじさんと呼ばれる世代にどっぷりと浸かった我々にとってはかえってそれが居心地がいい。自分の感情を無理に揺さぶろうとしてこないこの番組は平凡な世界にあふれる優しさに気づかせてくれるようでたまらないのだ。
「じゃあ」
と言ってAと別れた。自宅までは電車で30分。帰りに夕飯の食材でも買って帰ろうか、とそのとき、駅に向かう踏切の間に取り残された一人のおばあさんを見つけた。遮断機はもう閉まっている。
(非常停止ボタンは…?)
頭でそう考えると同時に、身体が動いていた。電車はもうすぐそこまで来ている。間に合うかどうかは分からない。周りから悲鳴が聞こえる。一瞬の空白ののち、頭の中で何度も聞いたキンタロの口上が聴こえてきた。
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「きんたーろがここに来たよ きんたーろが来たよ 来たよ きんたーろ 日頃の筋トレ 生きてるね 日頃のきんたろ きんたろ助けに来たから 問題ないのさ」
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「助かった」
私は直感で、そう安堵した。
了
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